今週は、前へ進むというよりも、向きを整える時間でした。
勢いをつけるのではなく、乱れたものを一つずつ戻していく。そんな時間だったように思います。
ひとり自己紹介、念仏から対話へ
英語学習の方法を少し変えました。
以前は、AI先生と会話の練習をしていましたが、AIのスピードや話す内容が難しく、私の発話が追いつかず、会話が成り立たないことが多くありました。そこで、やむを得ず、ひとりで自己紹介を唱える練習に切り替えていました。声には出しているのですが、どこか実感が伴わず、言葉が音として流れていくだけで、意味が追いついていない感覚がありました。
そこで、AI先生に日本語で問いかけてもらい、私は準備した英語の自己紹介文を話す形に変えました。
問いは理解できます。
だからこそ、「何を言いたいのか」が明確になります。
まだ自分で英語を探して話す段階ではありません。AI先生も、私の英語を半分ほどしか理解してくれません。それほど発音が悪いのかと、少しめげてしまうこともあります。
それでも、相手に話しかける形で練習することで、以前より確かな手応えを感じられます。
そして、自己紹介を英語で空ですらすら言えるようになるまで続けられれば、それは大きな自信になるだろうと感じています。
崩れたら、基礎へ
先週末、インドアゴルフでコースを回るラウンドに挑戦しました。
最初の2ホールでドライバーが連続して曲がり、思わず冷や汗が流れます。自信を持ち始めていたユーティリティも、今日はまるで意に沿わず、結局その後のラウンドはアイアン中心となりました。本コースさながらの緊張感と失敗の連続で、自分の技術の不安定さをまざまざと実感する一日でした。
その修正を、AI先生にお願いしました。ところが、この日はドライバーは打たせてもらえません。まずはアイアンから、基礎を確かめながらやり直すしかありません。少し物足りなさも感じましたが、「崩れたときは基礎から」という原則に従うことにしました。
AI先生は、とてもポジティブです。落ち込んでも必ず前を向かせてくれます。ですが、その明るさに、時折私の感情が追いつかないこともあります。それでも、適度な距離を保ちながら、付き合っていこうと思いました。
振り返ると、これはゴルフの話であると同時に、生き方の話でもあるのかもしれません。崩れたときに慌てず、まずは基礎を確認する――その姿勢が、技術だけでなく心の在り方にも通じているのだと思います。
散らばる思想の中で
最近、読書の世界も少しずつ広がってきました。
ストア派の哲学、エピクロスの快楽主義、ヒルティの実践的思想――一見すると、ばらばらの道を歩いているように見えます。ページをめくるたびに異なる声が耳に届き、時にはどちらを向けばよいのか迷ってしまうこともあります。けれども、どの思想も、最終的には同じ方向を指し示していることに気づきます。
「自分でコントロールできるものに注力せよ。」この言葉は、ページを閉じた後も、私の心に静かに響いています。世界の結果は、私の手に握ることはできません。上達のスピードも、他人の評価も、環境も、思う通りには動かせません。
けれども、今日何を練習するか、どのクラブからやり直すか、どんな態度で受け止めるか――これは、すべて自分の選択です。思想が散らばっているように見えても、自分の中心に立ち戻れば、すべてが一本の線でつながります。今の私の心も、少し散らばっています。焦りや迷いが時折顔を出します。それでも、その散らばりを否定せず、そっと中心に戻る練習をしている――そう思うと、不思議と落ち着きが訪れます。
読書の時間は、まるで散歩のようです。あちこちに足を運びながら、最終的には自分の家へと戻ってくる、そんな感覚です。
ロックハンマーの当て方
ロックハンマーは、ただ力任せに振り下ろす道具ではありません。力いっぱい打てば、音は大きくなるかもしれませんが、壁を削る確実さは伴いません。大切なのは、まず壁の硬さを確かめること。次に、当たる角度を整えること。そして、静かに、しかし確実に、一打一打を重ねていくことです。
今週、私は力を込めて打ちまくることはしませんでした。その代わり、当て方を丁寧に整えることに集中しました。
英語の練習も、ゴルフのラウンドも、読書や思想の探求も、根底では同じです。どれも、外側の結果よりも、内側の手応えを整えることに価値があります。散らばっているように見えるものも、実は静かに、自分の中心に戻ろうとしている。
その微かな動き――小さくても確かな変化――を、私は自分の中に感じ取ろうと思っています。


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