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英語学習を通して感じた、日本人と欧米人の世界観の違い

英語学習
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自然と人間の関係から考える

英語学習を続けていると、文法や単語以上に“考え方の違い”を感じることがあります。
単語一つ、言い回し一つに、その国の文化や世界観が反映されていると感じました。

最近そのことを強く意識したのは、「冠詞(a, the)」の使い方を学んでいたときでした。
日本語には冠詞がありません。
一方、英語では「a」と「the」の違いに、人間と世界との関係の捉え方が如実に表れています。
それは、まるで「自然との調和を重んじる日本」と「人間を中心に据える欧米」という、
文化の根本的な違いを象徴しているように感じたのです。


🇯🇵 日本人の世界観:自然の中に生かされているという感覚

日本人の文化には、古来から自然との調和を重んじる精神が根づいています。
神道では、山や川、風や火など、あらゆるものに神が宿ると考えます。
自然は人間が支配するものではなく、ともに生きる存在です。

この感覚は、言葉にも表れています。
日本語では主語を省くことが多く、「誰が」「何を」と明確にしなくても通じます。
それは、個ではなく「全体の調和」を前提とした言語構造といえるでしょう。

「いただきます」という言葉も、命あるものへの感謝を表しています。
人間が自然の一部であるという自覚。
この“つながりの感性”こそが、日本人の世界観の核心にあります。


🌍 欧米人の世界観:人間は自然を理解し、形づくる主体

一方、英語を学ぶほどに感じるのは、欧米的思考の明確さと主体性です。
英語では必ず主語が必要です。
「I think」「I believe」「I feel」――
この“I”の明示こそ、欧米文化における「人間中心の世界観」を象徴しています。

キリスト教の影響もあり、人間は神に似た理性的存在であり、
自然を理解し、制御する力を持つと考えられてきました。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、その世界観の結晶です。

英語を話す時、文法的に「誰が」を常に意識しなければなりません。
それはつまり、「自分の意見を持つ」「自分の意志で語る」という文化的訓練でもあるのです。


🗣 言語が映す、世界の見え方の違い

この違いは、言葉の細やかさにも表れています。
たとえば「字幕」という日本語。
英語では、Transcript(文字起こし)、Caption(表示字幕)、Subtitle(翻訳字幕)と、
用途によってきちんと区別されます。

英語は、世界を“分類し、構造化して理解する”言語。
一方の日本語は、文脈や空気から“全体を感じ取る”言語です。
言語構造そのものが、世界の見え方を形づくっている――
まさに、言葉を学ぶことは「思考の枠組み」を学ぶことでもあります。


💡 英語学習で広がる「世界観の交差点」

私はこの違いを、英語学習を通じて体感しています。
日本語的な「調和」と、英語的な「明確さ」。
この二つの世界観を行き来することが、まるで精神の筋トレのように感じられます。

自然と一体になって生きる日本人の感性に、
理性と主体性を重んじる欧米的思考を少しずつ取り入れていく。
そうすれば、思考も表現もより立体的になり、
新しい「創造的な自分」に出会えるのではないかと感じています。


🌏 まとめ:言語は世界観を運ぶ船

日本人は自然との調和を重んじ、欧米人は人間の主体性を重視する。
どちらの世界観も、それぞれの文化が長い時間をかけて育んできた知恵です。

英語を学ぶことは、単に新しい言葉を覚えることではなく、
異なる世界の見方を自分の中に取り込むこと
それは、自分の思考を拡張し、人生の視野を広げる営みだと思います。

「I am going to love English.」
このアファメーションを胸に、
今日もまた、英語という“もうひとつの世界”を味わいながら歩んでいきます。

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